誰もが世界に投票している



50階以上の高層住宅を購入し、無理にローンを組んで高値で家を買い、くだらない映画を観て、ゴミのような株を買い、高値でゴミ株を買い、ゴミのような草コインを買う。

誰もがこの世界に投票している。

50階以上の高層住宅のようなものは本来存在すべきではないし、駄作映画やゴミ株、ゴミコインもゴミ箱行きで、本来存在すべきではない。しかし、それらに無数の人が金を払うことで、存在の可能性が生まれ、一部の人の支払いによって、この世界に存在している。

だからこそ、反動も受けることになる。

雪崩の時、無実の雪片は一つもない。

段永平は北京にいて将来性がないと感じた時、南方に行った。小覇王時代、オーナーが約束した株式を実現しなかったので、果断に辞めて独自に步步高を創業した。

生き残るのに適さない場所なら、さっさと移動すればいい。

もし段永平が貴陽にいたとしたら、彼は高確率で花果園の家を買わず、果断に他の場所に移るだろう。

もし彼が香港で生まれ、家が買えなかったら、高確率で内地に移るだろう。

もしある人が香港で生まれ、家が買えず、一生懸命働いて一生牛馬のように働き、一小片の土地のためだけに生きるのなら、どれだけ悲惨な運命であっても全く同情には値しない。

もちろん香港の資本家は憎むべきであり、土地供給を人為的にコントロールしている。しかし、無数の働きアリたちがこの不合理な家の値段に加担しており、彼らが共にこの歪んだ世界を作り出している。だから、そこにいる人々の中に無実な者はいない。

その場所が間違っている、その会社が間違っているのに、そこに居続けるなら、それは歪んだ世界を作るために金を払っていることであり、相応の苦しみを受けても全く不当ではない。

ミャンマー北部の詐欺パークのように行動が制限されていない限り、ほとんどの場合、ほとんどの場所で人には選択権があり、自分の行き先を決めることができる。

苦しみを受けながらも離れようとしないなら、申し訳ないが、あなた自身がこの苦しみの世界を形作る一員なのだ。

だから、私は小さな個人として、力は微々たるものだし、大きな人物と比べることもできない。しかし、自分の行動や選択、言動には十分気をつけたい。力は微々たるものだが、私の選択もこの世界を形作る一部だ。他人がどうしようと、どう選ぼうと関係なく、私は自分の選択だけはコントロールし、自分の選択が歪んだゴミのような世界への一票にならないようにしたい。
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